視線

軽く運動して帰宅したところ鼻からツーと垂れてポタ。ポタポタポタ。鼻血が出て。しばし横になる。


およそ十日に一回はファミレス行こ。について書いてる気がするが、そういえば最終話を読んで引っかかっていた部分があったのが、わかったんです。止血のために横になっているとき唐突にわかった。鼻血の功名である。



中之島駅前で別れたあと。狂児が振り返る。視線の先は遠く、当然のことながら聡実が降りていった出入り口を見ていると知れる。

聡実が振り返る。このとき上目遣いの視線が読者とかち合うのだ。あれ?と思う。誰をみてるの?である。別れた狂児への名残惜しさで振り返るなら、先の狂児と同じく視線はもっと遠くなければならない。ここに違和感があった。

もう一度狂児が振り返る。続く駅の出入り口は狂児の立つ位置よりずっと近くに寄った視点から描かれている。聡実が降りていった階段。ひょっとして追うのもありなんかな、と思わせる寄せ方だ。

以上の見方はショットを断片でしか捉えていない。あらためて狂児の振り返るところから連続したものとして読み直してみる。振り返る聡実は少し後ろを見上げる視線だ。実際一人で降りていく聡実がこの目線になることはない。一人なのだから。ということは、これは狂児がみている想念上の聡実なのだ。いつも聡実の少し後ろを歩く自分をそこに置いて、振り返る聡実の視線を受け止める。気持ちの上では既に狂児は聡実と一緒に歩いている。二度目に振り返った狂児がみているのは二人で歩いて行っている出入り口。なのだ。寄りは思いの強さ。希望(であってほしい)。


休筆していためんたい子先生が現場に戻ってきたのはごみ置き場に置かれた自著の漫画本を見てしまったからだが、ファミレス行こ。は物語を消費し終えたら用済みになる漫画づくりへの強烈なカウンターとして完成したと思えてくる。同じ漫画を今度はどうやって読もうかな、と思えるのはそう無いだろうから。



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